パニック症とパニ症交流会

ーこの文章は、2015年8月「東京Aブロック通信」第3号に掲載された文章をもとにしたものですー

 この5月、日本精神神経学会は精神疾患の病名のあたらしい指針を公表した。これは、おもに差別意識や不快感をうまないようにという配慮によるもので、パニック障害は「パニック症」となりました。
 
 さて、わたしがパ二症交流会を立ち上げてから11年目にはいりました。毎月第4土曜日に池袋の東京芸術劇場で勉強会をおこなってきていますが、参加は毎回10人くらいでアットホームな運営に心がけております。
 
 この会をつうじて、いくつかのわたしが気にかかってきたことをご紹介してみます。 

@ 森田療法では、神経症は病気ではないという点
パニック症も病気ではないと言われればホッとする向きもありましょうが、あまりこれに重きをおいては専門医への受診がおくれてしまい、ややもすれば症状の「慢性化」をまねきかねません。早期発見早期治療は、パニック症においても大事であることには違いはないのです。

A 不安は、人間に随伴するものであって必要でもあるという点
不安、心配があるゆえ用心もするのだから、といった言葉が集談会ではよく聞かれます。これが通用するのは健常帯のばあいであって、パニック症の不安、恐怖はそれとは質的にまったくちがう異次元の症状なのです。どう違うかの説明ははぶきますが、せめて 「そうなんだ」と受けとめてもらいたいものです。

B 必要なことは恐怖突入でやればいいという点

目的本位でやればいい、とあっさり言われることがままあります。たとえば、電車に乗れないパニック症者に「必要なんだから乗っていけばいいジャン」という助言だが、そのことをどんなに分かっていても恐怖にかられていると、おいそれとできないのが感情のもつ動物の所作というものです。ゆえに、症状から脱出に向けての行動の変容をどうしていくかということは、パニック症者にとって検討しきれないほどの課題なのです。

C 薬を服用するかどうかの点
森田は、基本的には薬を使わないスタンスですが、パニック症の発作がおきていては目的本位どころか通常生活さえままならないので、森田の先生方も薬の処方をするようになってきています。

D いわゆる残遺症状の存するという点
ほとんど取り上げられていないが、パニック症の発作がなくなっても、副次的に発症する身体的・精神的な症状(不定愁訴、心身症)があります。これは、広場恐怖とは異なるものであって、かなりの人が場合によっては長期間にわたって被るたいへん不快な症状です。

E 症状をクリアしていく主体は、本人にあるという点
このことは、なんの病気にもいえることなのですが、とりわけパニック症などは好個の対象でありましょう。すなわち、クリアしていく主体は当人にあるのであって、医師とかカウンセラーや薬などは対象者をささえていく側となります。したがって、本人のかっこたる心がまえと努力なくして治療者や薬に丸投げをし、「なおしてもらう」という姿勢では進展に乏しいですよと言わざるをえません。
 
 それとひとつ、大事なことを付け加えなければなりません。パニック症の症状からの脱出には本人の努力と工夫は当然として、これにある一定の「時間」の流れが必要という側面があるのです。なんとも気に入らない話になってきましたが、がんばって行動さえしていけばOKというのではなく、それにプラスした時の経過とがあいまってよくなっていくものゆえ、功をあせらずじっくりと取り組んでいく認知が肝要なんです。

 最後に、支持の側にいる者として、援用していく心理療法の理論を機械的に活用していくのではなく、症状の重、中、軽というレベルとそれぞれのパニック症者のおかれている生活環境とをあわせ勘案し、複合的に対応していくよう心がけておるところであります。

パニ症交流会代表・千葉正則