NPO法人 生活の発見会  関東第一支部
 不安神経症コラム&手記パニック障害の治癒

 私の不安神経症

〜「パニック障害」の体験〜   

                           横浜第二集談会   

M・N  

  

受け入れて治る、森田療法の治り方とは

 
  私は今から32年前の41歳の時、帰宅の電車の中で突然パニック発作に襲われ、それ以来様々な苦しみと悩みを重ねてきました。特に一旦入院森田療法で治癒してから後に再発してからの苦しみの方が症状は軽かったはずなのに、とても長く大変な格闘して来た思いが有ります。
治癒 そうした悩みを過去形で語れるように成りましたが、現在も後遺症の「めまい」や時々「緊張感」がでる時があります。しかし「これも私の特徴」だと受け入れられるようになりました。薬も量は減りましたが、未だに毎日服用しています。これらについてよくよく考えてみると格闘していた時期と現在との間に症状と思える内容は本質的に大きな相違は無い事に気付きます。「症状」として嫌がっていた時はこれらの状況になると緊張感が走ったり、呼吸が乱れたりしますので、薬を増やさざるを得ません。今の様に「これも私の特徴の一つ、一生付き合う」と割り切っていると、一過性で済み、何ら支障は出ません。これが受け入れて治る、森田療法そのものの治り方だと実感しています。このような状況になったいきさつを最初の苦悩の時から考えてみたいと思いました。

最初のパニック発作


 最初は、電車の中のパニック発作でしたが、帰宅してから落ち着いて夕食を済ませました。その後、夜中になってまた不安感が押し寄せてきました。この不安感は森田療法で学習する「欲望と不安」の不安ではありません。生理的な原因で起こる、本当にいてもたってもいられない、体の中心から起こる強烈な「不安感」です。このような不安感はものすごく恐ろしいものです。その夜は自分で車を運転して救急病院に行きました。そこで安定剤を注射して貰い暫く横になってやっと収まりました。こうして今に至る苦悩が始まったのです。

 薬最初は、クリニックで薬物療法をしていました。ここでの体験は今でも役に立っています。それは、同じ症状の仲間ができたことで、仲間達は薬だけで治って行くのです。勿論完全ではありませんが、何かの時のために薬を常時所持していて、結構不安と付き合いながら、クリニックを卒業して行きました。今から考えるとある程度のところで「受け入れている」のだと思います。「受け入れる」意味が今になって参考になります。神経質の私は、全然受け入れられなくて、何時までも治りませんでした。(と自分で受け取っていただけかも知れません。)治りが悪いので2年後、クリニックで鈴木知準診療所を紹介してくれ、3か月の森田療法入院生活を送ることになります。退院と同時に会社に復帰して何となく治りました。

再発


  そこから、約4年、治ったと自分では思っていましたが、その後仕事に復帰して再び超多忙のシステム開発に携わって3年間、終了してホッとした時に再発しました。多分疲労のためだと思いますが、症状が出てきた時に再び薬に頼らざるを得なかったのです。薬に拘っていた私は再び、不安神経症を発症したのだと自覚しました。この自覚が症状と格闘する基本的な原因だったと今は思えます。

 再発だと自分なりに考えて、クリニックには通い出しました。しかし、入院する訳にも行かず、鈴木知準診療所で名前を聞いていた「発見会」の鎌倉集談会に行ってみました。ここで暫く様子を見て、半年後に入会しました。

 そして森田療法を本格的に勉強しました。勿論、鈴木診療所でも学習はしましたが、それほどの熱意を持って勉強した訳では無かったのです。森田療法は症状を取る事では無く、「受け入れる」治療法であることは充分承知しました。頭では分かりました。しかし、中々「治す」ことから心が移行しないのです。先輩達からも或いは医師からも「受け入れましょう」と散々に言われました。それでも頭の隅に「症状を取り去る行程表」ができ上がっていて、頑なにそれに向かって進もうとしていた部分が有ったように思います。これが「性格特徴」にある執着性或いは完全慾というもののなせる技かも知れません。私はこのように素直に森田理論を受け入れなかったために症状を長引かせてしまいました。

 そして、ありとあらゆる治療法を試みました。カウンセリング、鍼灸治療、マッサージ等等です。でもこのように「治そう」としている間は治りませんでした。これは治った今だから言えることだと思います。当時は何故こんなに治らないのだ。と自分の運命を恨む気持ちも有りました。

病気はまだ治っていない?

日記療法 
 先日私に日記を再度見る機会がありました。20年前の日記を改めてみた結果は「今と同じではないか」でした。症状で苦しんでいた時代の日記でしたが、その生活状況を見ているとほとんど今と同じです。なのに「病気だから治そう」ともがいていたのです。「神経症」だと思い込んでいると、少しの違和感も大きく感じて「病気はまだ治っていない」と感じるのだと思います。当時の医師から、症状を色々訴える私に「あなたの症状は自分で感じる程強くはないのですよ。大丈夫です。」と言われたことを覚えていますが、当時はとても信じられませんでした。しかし、今から思えば本当の事だったのです。症状の強さは日常生活の状況で判断すべきだと考えます。本人の自覚はあてにならないものです。今、症状に苦しんでいる人には是非この事を覚えて欲しいと思います。症状を嫌だと思うほど、ひどく感じるのです
  

一生付き合っても良いという覚悟

 
 このように中々素直に「治そうとせず、受け入れる」状態に成らないのはパニック障害特有の特徴があるかもしれません。パニック障害はそれまで全くの健常者に突然「生理的にパニック発作」が起こります。これは「パニック発作」は病気である。とする信念にちかいような思いができ上がってしまうのではないかと考えます。病気ならば治すべきものです。この思いは中々変える事が困難でした。
 
 もう一つは「完全慾」と「執着性」の性格も影響していると思います。後で述べる最初のクリニックで知り合った「パニとも」とは30年来の付き合いですが、この人たちは1年足らずで治ったのです。でも良く考えてみると、軽い症状は今でも有るし、薬は今でも持ち歩いています。早くに症状と折り合いを付けたのです。つまり「受け入れたのです」。このような性格の違いも大きいのではないかと思います。

 具体的な状況として、めまいを例に挙げてみます。以前の苦しんでいる時にめまいが襲ってくると、「又やってしまった」と悔やむ気持ちと、目前の世界が回転している恐怖感で気持ちが全く動顚してしまい、収まるまでの約15−30分は何もできず柱か壁に捕まって汗びっしょりになっていました。横になるのは更に恐ろしいのでできないのです。今はめまいが起こっても「15分だけだ」と落ち着いて柱等に捕まっています。さすがに横になると恐怖感が出ますので立っています。そしてこのめまいは私が死ぬまで一生持って行くものだと覚悟が出来ているので落ち着いていられるのです。今まで3回程精密検査を受けましたが、どこも悪い箇所は見つかりませんでした。時々はこのような「めまい」が起こりますが、この程度のことは一生付き合っても良いと考えられるようになったので、そうひどくは感じないのでしょう。これが「受け入れる」事の意味だと思います。

成功体験


 このような態度ができ上がるきっかけは長男の結婚式だったと考えています。パニック障害の後遺症で「乗物恐怖」(広場恐怖もあり、理髪店、歯医者が駄目でした)だった私は一番が「飛行機」でした。長男は結婚式と新婚旅行を兼ねて、ハワイでの挙式を計画したのです。その計画を知らされた時はとても複雑な心境でした。祝福してあげなければならないし、飛行機で6時間も飛んでゆくのはとても困難だとの思いもあるしです。緊張しながら、羽田の出国管理を出たところでもまだ今なら帰れるとそのような思いばかりがあったのです。しかしながら、長い旅行から帰って来て、羽田に降り立った時に、本当にやり遂げた思いでホッとしたことをまざまざと思い出します。これがきっかけで飛行機の恐怖感が薄らいで行きました。2年後に今度は次男がオーストラリアで長男と同じように挙式と旅行を兼ねて行いました。この時は前回の経験を生かそうと私自身に言い聞かせていた事もあり、緊張感はかなり少なく行けました。ここから徐々に色々な症状を怖がらない態度が醸成されてきたのだと考えています。

バドミントン もう一つは趣味のバドミントンです。50代になってから妻がコーチをしている町内会の同好会で始めた本当の遊びのような趣味でしたが、ここで皆様と同じように遊べている事がとても一体感を共有できて「できているじゃないか」と感じさせるものがあったのです。一種の成功体験でしょうか。一人前に私もこのような事ができるのだ。との思いから、薬を飲みながらでも普通の生活ができていれば、何の支障があるの?このような考え方が徐々に見について来たのだと思います。

「嫌な思い」が無くなれば、神経症ではない


 こうした体験と、今までの苦労そしてクリニック時代の病気仲間(パニとも)のありようから、心の病は自分が良いと思うところが神経症とクセの境なのだとの発見もあります。病気仲間は薬は常時持ち歩いています。でも「もう治った」と思っているのです。私の妻は、結婚以来ガスコンロがとても気になり一緒に確かめるのですが、それでも寝床に入ってから必ず一度、確認に行きます。玄関の扉もそうです。外出の時に必ず確かめるのですが、外の道路に出てからも必ず一度確かめに戻ります。子供達も最初は不審がっていましたが、慣れてくると「行って来て!」と普通にしていました。本人は「心配性なので」と言ってはいますが、全然病気の様子はないのです。たまたま、妻の友人にもっと激しい人がいるそうで、何とその家から道路を仲間と歩きだしてから4−5回は扉の確認に戻るそうです。でも本人は「私のクセだから」とケロリとしているそうです。このように症状の程度に関わらす、本人が病気と思わなければクセで終わります。

神経症 このように、「症状(クセ)+嫌な思い、これは病気だとの思い、治さなければ」が一緒になった状態が「神経症」と呼ばれる内容だとつくづく自覚します。症状に悩んでいた時はそのように分離した状態を意識しなかったのですが、今は分かります。症状が大きくても「嫌な思い」が無ければ、神経症ではありません。「嫌な思い」が大きいと症状はささいでも「神経症」です。森田療法は、このうち左図の「嫌な思い、これは病気だとの思い、治さなければ」を取り除こうとするために難しい言葉を使ったり、症状がありながら目前の日常生活を強いること等、この事を自覚するための全てであることが今は分かるようになりました。

 私はこうして、森田療法の「受け入れる」事に気付き日常生活に支障が出ないようになるまでに10年の長い年月を要しました。特に不安神経症は、先にも述べたように普通の生活をしている健常者に、突然パニック発作と共にやってきます。治そうとする気持ちを抑えることはでき難いのです。完全慾と執着性が有っても、もう少しこの事を早く気づいて貰えるような方法を今考えています。それが私の役目だと思っています。